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「文化」と「文明」の関係とは? ウイスキーと酒場の寓話(38) - WirelessWire News

「文明」と「文化」については、国語辞典で調べるとそれぞれの意味は分かるし、「文明 文化 違い」などで検索すれば、優れた論がいくつも出てくる。ここでは、文明と文化の関係というものを意識しながら両者を考えてみたい。

まず、故人の至言を紹介したい。「快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である」(立川談志)。この喝破は、「文明は文化を破壊する。その逆はない」(誰の言葉か失念してしまったが)という名言に匹敵する。

文明と文化についての素晴らしい喝破は他にもいろいろあるが、塩野七生の著書「男たちへ」の中に素晴らしいものを見付けた。

「食は文化であり、食べ方は文明である」

これには久しぶりにヤラレたと思った。先に挙げた「文明は文化を破壊する」も立川談志の言葉も、人によって想起するものは異なるだろう。しかし、誰にも分かる「食」という考え方の基点となり得る絶妙な軸を設定することで、平易にさまざまなことを思い浮かべられるようにした点が素晴らしい。

例えば、「移動は文化であるが、自動車(やその運転の仕方)は文明である」「音楽は文化であるが、オーディオ(聴き方)は文明である」などに展開することができる。

けっこう前のことではあるが、ジブリの映画「風立ちぬ」(2013年の作品。零戦を設計した技術者の話)を観たときも、文明というものについてかなり考えさせられた。子供の頃、学校の図書室にあった「零戦物語」(確かそんなタイトルのハードカバー)を何度も読んで、零戦の型(五二丙など)や操作系統(右手が操縦竿で上下を制御、左手はスロットルで速度を制御、左右のペダルで方向舵。これで3次元を自由に飛ぶのだから信じられない)などを全部覚えた身としては、映画はあまりにすべてが美し過ぎたかもしれない。

特に、結核の奥さんの横で主人公が「煙草を吸ってしまう」シーンが象徴的だった。煙草という「文化」(絶滅寸前だ)に「文明」と「文明がもたらすもの」を象徴させたのだと感じられた。「吸ってしまう」というところに、意識・無意識は別として文明というものに魂を売ってしまう、ということの本質が見事に表現されていた。

煙草自体は文化であるが、仕事がキツいときの息抜き、あるいはその中毒性、結核の家族の横でも吸ってしまう、ということになると、ある目的を持った文明の利器といった性格を帯びてくる。

この映画が公開された当時は、こういう表現について、喫煙シーンが多いのは問題だ、などというピントの外れた批判をしている人達もいた。これは、ポリティカリー・コレクトネスなどという文明を通して、表面的/形式的な表現の良し悪ししか見えなくなってしまう、ということでもあって、文明が文化を破壊する例の一つともいえる現象であった。

煙草だけではなく、全編に声高ではないものの文明に対するメッセージに溢れた映画であって、実は大人に向けた映画だったのではないだろうか。ドイツ軍の爆撃機などが禍々しさを感じるほどの美しさで、文明を象徴するかのように描かれていたのも印象的だった。軍用機に限らないことではあるが、3.11以降の世界に対して「文明」というものをよく考えてみよう、というテーマであったのではなかろうか。こう考えてみると、今、あらゆる文化は原発という文明に破壊されつつある、ということにも思い至る。これもまた、大変に納得できる文明と文化の対比の例であろう。

話は変わるが、酒というものは、造り方、飲み方など含めて文化を感じさせるものである。特にウイスキーに顕著だが、発酵、蒸留、熟成という工程は、まったく不変であり、樽材と樽での熟成は時間と気候風土がその仕上がりを左右する。人工的に熟成の時間を短縮できるものではない。昔は勘に頼っていた部分が、今では測定値で判断するようななった、という違いはあっても、それは測定という文明がウイスキー造りという文化を壊しているわけではない。

これは有名な話ではあるが、鉄のフライパンは丁寧に使えば一生ものであるが、それでは一生で1つしか買ってもらえないので、ビジネスとしては広がらない。そういうところに登場したのが「テフロン加工」という文明だ。テフロン加工のフライパンは、最初のうちは焦げ付かずにとても快適なのだが、テフロン加工が劣化するので、ある程度使ったら買い替えなくてはならない。つまり、耐久消費財だったフライパンを消耗品にしてビジネスの規模を桁違いに大きくしたのである。

鉄のフライパンをどう手入れするか、焦げ付かないようにするにはどうすれば良いか、といった文化ともいえるノウハウや手間の掛け方が、テフロン加工という文明によって不要になってしまった。しかし、それと引き換えに、定期的に買い替えることを強いられるようになったのである。

長年使い込んだフライパンを使っていると、最初は上手くできなかったことがだんだんできるようになってくる。それに伴って、フライパンもさらに使いやすく馴染んでくる。こういった手と道具との関係が、テフロンでは構築できないし、ある段階になったら、気に入っていても買い替えなければならないのである。

文明というものは便利ではあるが、実は貧乏くさいのである。常に「コスト」などという概念や制約が付きまとうのが、貧乏くささの一つの側面である。昔の人は「便利なものにろくなものはない」などと喝破してもいる。

これ、実はインターネットにもいえることなのだが、使い方を自分なりに工夫したり、好ましくないと思うものには近寄らない、などということがそこそこに可能なので、享受するメリットの方をデメリットよりも大きくした状態を自分のポリシーで維持できるのが良いところだ。

そういう側面がなく、文明の提供側の理論や流儀に流されざるを得ないのが、文明の文明たるところなのだ。それが当たり前だと思わずに、懐疑的な態度を崩さずにいたいものである。

注)今回は、別項で以下の文章を掲載したので、その続きです。

以前、首都圏のどこかの大学の学生がお通しについての調査をして、お通しは不要ではないかという結論を出した、というニュースを耳(ラジオなので)にしたが、良い客とまっとうな店とで培ってきた飲食商売の「文化」というものを調査などという野蛮な「文明」で破壊しないでもらいたいのである。こういうことを報道してしまって恥じない報道機関にも呆れたのだが。なお「文化と文明」については、深遠なテーマであり話が長くなるので稿を改めたい。
人生には「お通し」が必要である ウイスキーと酒場の寓話(36)

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November 25, 2020 at 02:35PM
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