円山応挙が月鉾の軒裏に描いた草花図
京都祇園祭は、豪華に装飾された山鉾(やまほこ)33基が市街地を巡行するのがハイライト。ひとつひとつの山や鉾が、染織工芸の粋を集めているのが特徴だ。目に付きにくい屋形の軒下にさえ、円山応挙や今尾景年といった京都画壇の巨匠が絵筆を取っている。細部に宿るぜいたくさと歴史の重みが、日本三大祭の存在感を支えている。
■少ない見学機会
京都市中京区の京都文化博物館で開いている特別展「京都祇園祭―町衆の情熱・山鉾の風流(ふりゅう)―」(4~13日は展示中止、5月17日まで)は、山鉾巡行にまつわる絵巻や屏風のほか、意匠と技量を凝らした飾り金具や染織工芸品を重要文化財7件を含む全150件を展示している(一部展示替えあり)。
精緻に造り込まれた山鉾は動く美術館とさえいわれる。しかし普段は各保存会により解体・格納され、目に触れる機会は少ない。巡行当日も音頭取(おんどとり)や曳子(ひきこ)の所作に目を奪われがち。しかも「遠目だったり、強い日差しの影になったりといった悪条件になりやすい。その点、特別展は細部をじっくりと見ることのできる数少ない機会」と京都文化博物館の橋本章学芸員は語る。
■金地に応挙の画
たとえば江戸中期の絵師、円山応挙による「破風軒裏絵 金地着彩草花図」。ユリやショウブなど夏らしい草花が、金地に鮮やかな彩色で描かれており、月鉾の破風の軒裏を飾る。京都円山派の祖として多くの傑出した門弟を抱えた、応挙らしい端正な作品だ。
「けらば板 金地著彩鶏鴉図」(今尾景年筆)
ただ、屋根を三角形に結ぶ破風とはいえ、その軒裏はさして目立つわけでなく、祇園祭の全山鉾のなかで最大規模を誇る月鉾のいわばパーツの一つにすぎない。目をこらさなければ見えにくいこんなところにまで、内裏の障壁画も手掛けた人気絵師が制作しているのが、ある意味ぜいたくだ。
「天皇の居住空間を彩るほどの絵師に依頼して装飾の格を上げるのは町衆の本望だし、絵師にとっても山鉾に描くことが晴れ舞台だった」(橋本学芸員)ようだ。人気絵師と町衆の関係は、祇園祭に根を下ろす。
山鉾の一つ、保昌(ほうしょう)山では応挙が手がけた下絵を基に刺繍(ししゅう)で巧みに再現した装飾品が下絵ともども3組残っている。幕末から明治にかけての京都画壇の重鎮だった今尾景年も函谷(かんこ)鉾の大屋根軒裏にニワトリとカラスの絵を描いたほか、晩年には岩戸山の大屋根の軒下裏絵にキクやシャクヤク、バラにツバキなどを制作している。明治から昭和にかけて活躍した竹内栖鳳も、孟宗(もうそう)山に肉筆で見送(みおくり)を描いた。
869年に起源を持つ京都祇園祭は、16世紀に現在に伝わる原形がほぼ固まったとされる。それまで年替わりで考案していた出し物が、町内ごとに固定化。これに伴い、それぞれが由緒をまといだす。
ただ、個々の由緒は中国故事であったり日本神話であったり、仏教説話もあれば謡曲もありと様々。まして本体の前後左右を飾る前懸、胴懸、後懸、見送などの懸装品は、ギリシャ神話を題材にしたベルギー産タペストリーをはじめ、中国や朝鮮、インドの舶来染織工芸品など、一貫性や脈絡を探すのも難しい。
「むしろ裕福な町衆による財力を背景に、東西古今の故事来歴と文物がぶつかり合って華美の火花を散らすのが祭りの風流」(橋本学芸員)。こうした装飾工芸品が、美術館でなく、町内ごとの各保存会でそれぞれ管理されている。「たとえ火事で家屋敷が焼けても、これら文物だけは救い出せといわれて代々守ってきた」(公益財団法人祇園祭山鉾連合会の木村幾次郎理事長)という。そこに展覧会の価値を見ることもできそうだ。
(編集委員 岡松卓也)
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April 03, 2020 at 12:01AM
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山鉾の裏飾る巨匠の筆 京都祇園祭の文化財に光 - 日本経済新聞
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