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「稼げない博物館」は存在意義がないのか? 『博物館と文化財の危機』 | J-CAST BOOKウォッチ - J-CASTニュース

 本書『博物館と文化財の危機』(人文書院)は2018年11月に京都で開かれたシンポジウム「博物館と文化財の危機――その商品化、観光化を考える」をもとに書籍としてまとめたものだ。シンポジウムは会場の収容人数をはるかに上回る参加者が集まり、主催した関係者は多くの人がこの問題に関心を持っていることを痛感したという。

現場から悲鳴があがっている

 本書の帯には「稼げない博物館は存在意義がないのか?」と大きく記されている。「民主主義の根幹でもある博物館、人類の貴重な財産でもある文化財。それがいま研究や歴史の蓄積が損なわれ、現場から悲鳴があがっている。手遅れになる前に博物館のあるべき未来を提言する」というのがシンポジウムや本書の趣旨だ。

 そういえば少し前に、地方創生大臣が、地方の博物館学芸員のことをぼろくそに言って問題になった。「一番がんこなのは学芸員。普通の観光マインドが全くない。この連中を一掃しないと」。学芸員が、地方活性化に不熱心だとお怒りなのだ。

 学芸員の本来の仕事は、文化財の保存、調査、収集や、学術的なことを踏まえた展示などのはずだが、この大臣は地方活性化のことで頭がいっぱいだったようだ。

 本書によると、博物館を観光振興、地方活性化の一助にしようとする考えは、バブル崩壊期にまでさかのぼる。さらに小泉内閣の民活路線で弾みがついたようだ。民主党政権を経て現在の政権でいちだんと強化されつつある。

 その流れは法律的にも明らかだ。2001年に制定された「文化芸術振興基本法」は、17年6月に改正され、新たに「文化芸術基本法」が施行された。18年には文化財保護法も改正された。文化財を「資源」、稼ぐための手段とする動きが強まり、文化庁の京都移転も計画されている。「地方創生」や「おもてなし」「外国人観光客誘致」などの流れに文化庁自身が踏み込み、合流している。

さまざまな「ゆがみ」

 本書は、こうした「文化行政の大転換」に対する専門家サイドの反撃というわけだ。「まえがき」を岩城卓二・京都大学人文科学研究所教授(日本近世史)、「あとがき」 を高木博志・京都大学人文科学研究所教授(日本近代史)が担当、以下の各章をそれぞれの研究者が受け持っている。

第1章 博物館・美術館のミライ  「文化財で稼ぐ」ことが国家戦略になった(岩﨑奈緒子) 第2章 歴史系博物館の可能性  地域の歴史や「負の歴史」と向き合う努力(久留島浩) 第3章 学芸員の現在と未来  学芸員は大忙し!でも大事なことってなぁに?(國賀由美子) 第4章 地元の主婦による文化財住宅の立ち上げと運営 母さんが「学芸員」になった!(小泉和子) 第5章 人を育てる史料館  時間をかけて人を育てる覚悟はありますか?(岩城卓二) 第6章  文化財と政治の近現代   復権する神話(高木博志)

 この中で、とくに興味深かったのは「第6章」だ。近年、国内の歴史的遺産が「世界文化遺産登録」などを競い合い、それをテコに観光化の推進などが行われているが、さまざまな「ゆがみ」を生んでいるというのだ。

 一例として、2019年の「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」の世界遺産登録を挙げている。今は「百舌鳥・古市古墳群」と呼ばれているものが「仁徳天皇陵古墳」の呼称で登録された。

 高木さんは、「仁徳天皇陵古墳」の非学問性は、五世紀に天皇号が成立していないことや、築造年代などの研究から明らかにもかかわらず、「仁徳天皇」が埋葬されているかのような誤解を招き、すでに学校現場でも教えられていると指摘する。「文化財の観光化のためには、歴史学の実証の魂を売ってもよいのか?」「戦後改革を経てきた戦後歴史学・考古学の営みを否定するものではないか?」と疑問を投げかける。

 地元の声を受けて登録推進側になった学者たちの間では、「仁徳天皇陵古墳」というのは「宮内庁が乗ってくるギリギリの線」という解釈もあったらしい。ところが、2019年7月5日に開かれた陵墓関係十六学協会と宮内庁との陵墓懇談で宮内庁は、この問題で何等意見表明をしなかったことを明らかにしたそうだ。「仁徳天皇陵古墳」でないと宮内庁は世界遺産登録を認めないというのは、一部学者たちの「忖度」に過ぎなかったと結論付けている。

「伝統文化」が「一等国」には不可欠

 高木さんは、明治維新後に、「文化財や美術や歴史といった固有の『伝統文化』が『一等国』には不可欠との認識が、欧米列強を視察する中で政治家や学者の中に広まった」ことから説き起こす。

 とくに興味深かったのは、西欧の美術館のルーツの話。ルーブルやエルミタージュ美術館は、王室の私的なコレクションをベースに、19世紀になって国民に開放されたものだった。ところが日本では1872年の宝物調査で、正倉院の献納宝物以外にはまとまった皇室の至宝がないことが明らかになった。かくして正倉院御物・法隆寺献納宝物・陵墓・御所・離宮などが集積されたという。

 たしかに、書の至宝として有名な「法華義疏」なども、明治になって法隆寺から皇室に献上されたものらしい。そうした中で、皇室財産系文化財が、国民に開かれた帝国博物館に所蔵される文化財に対して優位とみなされる構造ができあがり、「国体」を表す至高の価値を持つもとになったという。皇室財産系の文化財は「御物(ぎょぶつ)」といわれ、国宝以上の価値があるように受け止められているが、案外、歴史が浅いことを知った。

 高木さんは「復権する神話」についても論及している。「日本遺産」には、宮崎市を代表自治体に「神武東遷――古と現在をつなぐ、遥かなる道のり」も申請されているそうだ。戦前の紀元二千六百年事業「神武東征」顕彰のリバイバルと見る。明治以降の「日本神話」の受容過程については、BOOKウォッチで『建国神話の社会史――史実と虚偽の境界』 (中公選書)で紹介したばかりだ。

文化財は展示すると傷む

 評者は多少、展覧会事業の裏側を知っているので、先の地方創生大臣の大きな誤解について二つほど挙げておきたい。一つは、本書にも書いてあったが、文化財は展示すると傷むということ。浮世絵や書道作品など、作品によっては公開されても展示期間が二週間ということもある。骨董品や考古遺物なども破損のリスクがある。下手すると、巨額の修復費が追いかけてくる。

 二つ目は大量集客が可能な話題性のある特別展ができるのは、一部の国立博物館に限定されているということ。「目玉」となる作品がないと、客は来ない。そのためには所有者(主としてお寺)との借用交渉や借用費用、宣伝費や保険費、運送費、監視員費用などもかかる。斬新な展示プランも外部の専門家がつくっている。ようするに特別展とは、博物館だけでなく外部の様々なプロと合体した大掛かりな作業なのだ。準備には何年もかかる。大手マスコミが主催者に加わり、全体経費に責任を持っているからこそ、日本の大型展は開催できる仕組みになっている。

 ゆえに「稼ぐ」ということに関しては、地方の博物館や学芸員の出番はほとんどないといえる。にもかかわらず、過大なミッションを強いられているのは気の毒としか言いようがないと感じた。

 BOOKウォッチでは関連で、『文化財返還問題を考える――負の遺産を清算するために』(岩波ブックレット)、『百貨店の展覧会』(筑摩書房)、『世界遺産 百舌鳥・古市古墳群をあるく』(創元社)、『古鏡のひみつ――「鏡の裏の世界」をさぐる』(河出書房新社)、『奪われた「三種の神器」――皇位継承の中世史』(講談社現代新書)、『美意識の値段』 (集英社新書)、『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)、『公文書館紀行(第二弾)――取材から見えてきた「今、問われる公文書」』(丸善プラネット)なども紹介している。

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March 31, 2020 at 04:41AM
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